パナソニックの人 鈴木 裕太

仕事場と鈴木 裕太さん

データ分析の技術を磨き、
課題と解決を結ぶ架け橋になりたい。

経営企画 鈴木 裕太

「たとえ不安でも挑戦する。やらなきゃ自分を変えることはできない」。その言葉が、鈴木裕太の人生を物語っている。鈴木は、生まれつき先天性の障がい(上肢障がい)を持っていて、手足に不自由がある。ハサミやカッターを使用するような細かな作業を得意としない。でもそれが、どうすれば人との差を埋められるかを考え、工夫することを習慣化させてきた。「自分は自分でしかない。ならば、与えられた身体で何ができるのか」。生きる力は、そうして磨かれていった。

幼い頃から母は、いつかは親元を離れて生きていかなければいけないのだからと、ひとりでやり切ることを大切にした。「人と違うからできないと諦めるのではなくて、人と対等にできる方法を考えなさい」。靴ひもがうまく結べない時も、手を貸すのではなく、1時間でも2時間でも、できるまでそばで待っていたという。そこから芽生えた自立心は、鈴木の根底に礎のように刻まれ、今も働く姿勢に表れている。

デスクでPCに向かう鈴木さん

電気制御や電子情報技術関連の業界団体への電子部品の出荷・受注の集計業務、部内の共有ファイルサーバーのアクセス権の管理、予算管理、情報セキュリティ。現在の仕事は多岐にわたる。共通しているのは、情報を処理すること。国内だけでなく、世界各国での販売データも管理する。膨大なデータ量のなかから、どうすれば最適なデータを効率よく抽出することができるか。特定の商品データだけをピックアップしたり、新しいシステムへの移行をスムーズに叶えたり、求められている結果を出せるよう、日々課題の解決と向き合っている。

多岐にわたるデータを丁寧に取り扱うスキルは、パナソニックへ入社する以前に下地がある。かつて鈴木は、現在とは異なる2つの職に就いていた。ひとつは介護職。もうひとつはタイヤの販売会社。介護職では、ホームヘルパー2級(訪問介護員2級養成研修課程)を取得。「人を担いだりする必要もある介護職は、障がいのある人には無理だと思われがちですが、やり方によってはそんなことはありません。昔から反骨心が強く、イメージや状況を変えたいと思うタイプでした」。タイヤの販売会社では、販売データなどの情報管理に携わっていた。エクセルなどのデータ処理を独学で学び、少しでも効率よく取り扱えるデータをめざし知識と技術を学んだ。

笑顔で打ち合わせをする鈴木さん

そうして、数々の経験を積むうちに、ふつふつと新しい挑戦心が芽生えていく。幼少期から自分が人に支えられてきたように、人を支えられるようなことをやりたい。重たい物を運んだり、細かい作業をしたり、自分が難しいと感じていたことを解消できるロボットやデバイスがあれば、同じ想いを持つ人の役に立てるのでは。その時に浮かんだのがパナソニックだった。ふと家のなかを見渡すと、あらゆる家電がパナソニック製だったのだ。これだけくらしを広範囲に支える企業であれば、障がい者に向けた製品もきっと生み出せるはず。こうして、パナソニックへの扉は開いた。

面接時の担当者は、鈴木が問いかける心配事に一つひとつ丁寧に答えてくれた。多様性を尊重する企業の考え方やあたたかさを感じたという。「ものをつくる前に、人をつくる」という創業者の精神が受け継がれていることを目の当たりにした。入社してからもその言葉に嘘はなかった。重たいものを極力持たせないようにと周囲が気にかけてくれ、その一方で、自分が得意とする情報処理分野ではつぎつぎと仕事を任された。「入社する前は、パナソニックという巨大組織のなかで個性が潰されるのではないかと不安もありましたが、実際はその反対でした。自分にできることをアピールしていけば、周りが引き出してくれる、そういう環境がここにはあります。分からないことやできないことがあれば、どんどん周りを巻き込んでほしいという心遣いも背中を押してくれました」。挑戦する喜び、感謝される喜び、知らなかったことを学ぶ喜び。自分にできることで貢献する。そのシンプルな協力関係がそこにはあった。

笑顔で話す鈴木さん

壁にぶち当たった時には、どうすれば状況を打開できるかを考える。幼少期から培われたその精神は、現在も変わることはない。そして、パナソニックにたどり着くまでに経験した一つひとつが今、鈴木の武器となっている。「やはり独学で勉強したことは記憶に残ります。人がつくり上げたものは結局その人のものであって、思うように改善に至らないこともある。大切なのは自分なりの方法と答えを見出すこと。難しい仕事案件もありますが、自分にできないはずがない、そう思って仕事と向き合っています」。そう語る目は、いつも未来を見ている。

パナソニックの人一覧へ