「安くていいもの」に妥協なし。
そのこだわりを多くの人に届けたい。
調達 鈴木 翔
小さな頃から得意分野は理系科目で英語の成績はいつも赤点だった。そんな鈴木だが、高校1年の夏にイギリスへと短期留学、そして高校2年からはアメリカに単身で移り住み、最終的に十代後半から社会に出るまでの7年間を海外で過ごすことになる。
「イギリスでの短期留学の時、いろいろな世代が集まるプレゼン大会がありました。現地の中学生や香港から来ていた小学生が胸を張って話す姿に圧倒されました」。伝えたいことがあるのに伝えられない、そんなもどかしさに打ちのめされた鈴木が出した答えは「理屈じゃない。いっそ英語に浸かってしまえ」という大胆なものだった。2年生からアメリカの高校に編入、テキサス州のベイラー大学に通う頃には英語は自然に口をつく言語になっていた。
大学では「日本人学生会」というサークルに所属していた。サークルの主な活動はさまざまな日本の文化を紹介することだった。当時、日本のカルチャー=アニメという認識がまだ強いなかで鈴木が推したのはソーラン節だった。「アメリカ人との混成チームを組んで、踊りを練習しました。日本らしさを感じるものとしてとても好評でした。大学だけでなく、チャリティーイベントや地元のアジアフェスティバルでも披露したんですよ」。ちなみに踊りの輪のなかの唯一の日本人は鈴木ただひとりだった。
7年の海外生活で養われたのは英語力とグローバルな視野だった。特に世の中を広く見る力は就職のタイミングにおいて多角的な判断基準を与えくれたと鈴木は振り返る。「海外では必要なポジションに空きができた時に、必要なスキルを持っている人材を確保するのが主流で、いわゆる日本の新卒採用というシステム自体が存在しません。どの道すべてゼロから仕事を覚えていくのであれば日本でファーストキャリアを経験するのがいいかなと思い、まずは日本企業に狙いを定めました」。
就職先を決めるにあたって、日本企業のアイデンティティについても考えたという。「日本の独自性は"モノづくり"にあると思ったのです。ものを生産するという意味だけでなく、限られた予算のなかでも、ひとつのものを徹底的につくり込んでいく姿勢は、やはり他の国とは違うと思いました」。数多くのモノづくり企業のなかでパナソニックを選んだのはこんな理由だった。「先鋭的なもの、ユニークなもの。各社が独自性を打ち出しながら競い合うなかで、いちばん日本らしいモノづくりをしていると感じたのがパナソニックでした。独創性という部分ではちょっと不器用かもしれませんが、お客さまのためになるものをしっかりとつくり込んで、適正な価格と品質でお客さまに手にとってもらう。そんな姿勢に共感したのです」。
入社から10年。一環して部品の調達や購買に関わる仕事に従事している。調達や購買はモノづくりにおいて極めて重要なパートで製品の価格設定やお客さまにお届けするまでの物流プロセスに影響を与えることも少なくないと鈴木は言う。「パナソニック製品を構成する膨大な数のパーツは世界中から集められています。そうしたなか、例えばある国が台風などの被害を受けて物流がストップし、パーツの供給が止まってしまうと、組み立て工場の作業などにも影響し、結果的にお客さまの元に製品をお届けできないケースを招くことになります。そうした局面を回避することも私たちのチームのミッションなのです」。
新卒当時からずっと変わらない「パナソニックのモノづくり」への想いは、今、製品の開発や製造の現場で花開いている。「例えば製品にガラスを使うとします。いくつもの種類の中から、Aは安いけど検査費用がかかるし加工に手間取る。Bはちょっと高いけれど、検査工程をカットできて導入も速い。大きな視点で見るとBの方が品質とコストのバランス調整を合理的に実現できるといった提案をします。また、ある製品では使うパーツの形を少し変えることで、製造時間が2秒短縮され、機能はそのままに製造コストを下げられるといった細かな提言もしています。1円、2円のコスト削減の話ですが、製品の機能だけでなく、気軽に手に取りやすいこともひとつの品質だと考えています。そういった意味でも、コスト削減の積み重ねは、パナソニックの製品をより多くの人にお届けするための生命線。我々はまさにそこに命を懸けているのです」。