「つくり方」の知恵を絞ることで、
モノづくりを支え、仲間の力になりたい。
生産技術 村上 奈央子
「こんなにたのしい仕事は、ないと思いますよ」。生産技術の仕事について、目を輝かせてそう話す村上。入社から19年。3人の子どもを育てながら続けてきたのも、この仕事が大好きだから。しかしそんな村上も、生産技術の仕事を知ったのは就職活動が終盤に差し掛かってからだった。
大学では音声認識技術を研究し、音楽サークルに所属。就職活動を始めた頃は、知識を活かせる音響メーカーやテレビ局の音声スタッフを考えていた。しかし、なかなか合う仕事がなく、適性検査をしてみると、コンサルティングという結果が出た。「いろいろなクライアントに提案やアドバイスをする仕事は、確かにおもしろそうだと思いました。でも、もともとモノづくりに興味があったこともあり、自社でものをつくっていて、ともに働く仲間が同じ場所に集まる、ホームと思えるような会社が私には向いていると思ったんです」。そこで、子どもの頃から商品が身近にあったパナソニックにOB訪問をしてみることに。先輩社員に自分の想いを伝えたところ、生産技術の仕事を教えてくれた。設計や製造など実際に製品をつくる人ではなく、より簡単、より効率的につくれる方法を、つくる人と会話しながら考え、実行していく。コンサルティングの要素もあり、設計から製造までを一貫して手掛けるパナソニックだからこそ重要な仕事だと話してくれた。「これは私のやりたいことが詰まっていると思い、第一志望になりました」。
想いが叶い、生産技術として入社。最初は自分が役に立てるのか不安もあった。それが少しずつ自信に変わっていったのは、入社3年目の頃だった。村上の仕事は主に、ITや生産工学の技術を用いてツールやシステムをつくり、製造現場の改善や革新を行うこと。2年目までは研修や先輩から実務を学び、ITの知識も懸命に覚えた。製造、調達、生産管理、設計など、さまざまな専門性を持った人たちと接し、モノづくりの基礎も学んだ。
そして3年目、ひとりで工場の改善活動支援を担当することになる。工場をより良くするためにできることを、自分自身で考え、実行していく役割だ。最初は何をすればいいか分からず、邪魔にならないように製造ラインの横に立って、ひたすら観察。それを何日も続けるうちに「あそこの作業はやりにくそうだ」「あの工程は短縮できるのではないか」など、気になる点や課題が見えてきた。それに対して自分なりに改善策を考え、ツールを開発。最初はうまくいかず、現場の意見を聞き、先輩に相談しながら試行錯誤を繰り返し、少しずつ活用できる形になっていった。「ツールを導入してはじめて現場の方から『ありがとう』と言ってもらえた時は、本当に嬉しかったです。第三者の立場だから気づけること、できることで、ものをつくる人に貢献していく生産技術の仕事に、大きなやりがいを感じました」。
知恵を絞り、誰かの役に立つ。仕事の醍醐味を知り、もっと追求したいと思っていた時、産休に入ることになる。入社当初から子どもがほしいという想いがあり、キャリアよりも育児を優先しようと思っていた。当時は働き方改革が、進んでいなかった時代。「生産技術の仕事は好きでしたが、工場のスケジュールに合わせて動くことも多く、育児をしながら続けるのは、やっぱり難しいと思いました。それで今後のキャリアに活かせればと、育休中に簿記の資格を取りました」。でも本心では、生産技術をもっと続けたかった。上司に素直な気持ちを話してみると「職種を変えるのはいつでもできる、やるだけやってみなよ」と言ってくれた。そこで育休から復帰すると、自宅から通いやすい工場で時短勤務に。運命共同体である夫の理解があり、先輩にも相談に乗ってもらうなど、周りの協力を得ながら続けることができ、その後2人目、3人目が生まれてからも仕事と育児を両立してこられた。
「本当に周りの理解と支えがなかったら、今の私はありません。人に恵まれてきたことに、とても感謝しています」。そんなお母さんを、子どもたちも応援してくれているという。「次男が保育園児だった頃、実験道具などをよく持ち歩いていた私を発明家だと思っていたようで。それで、自分も大きくなったら発明家になりたいと言ったことがありました。泊まりの出張の時など、家族に申し訳ないと思うこともあったのですが、仕事をする姿がたのしそうに見えていたようで、よかったです」。
現在は工場だけでなく、パナソニックの製品を取り扱う電気工事会社に向けて、より作業しやすい製品づくりに携わっている。知恵を絞り、誰かの役に立つ。そのやりがいは深まるばかりだ。「パナソニックにはいろいろな専門家がいて、多くの人たちと協力しながら、新しい価値をつくっていくことができます。そしてその価値を、会社に還元していける喜びは大きいですね」。多くの人の役に立ちながら、多くの人に支えられてきた。まさにホームと呼べる場所が、村上にずっと力をくれているようだ。