パナソニックの人 小田 まゆ

仕事場と小田 まゆさん

海外拠点の調達リーダーへ、
次の世代につなぐ
ロールモデルになりたい。

調達 小田 まゆ

「父のようにグローバルなフィールドで活躍するのが、子どもの頃からの夢でした」。国内外の拠点と仕入れ先の間に立ち、調達に奔走する小田は、仕事の原点をそう語った。「商社から独立した父は貿易コンサルタントを開業。国際電話がよくかかってきて、海外出張も月2~3回。自宅がオフィスを兼ねていたので、父の働く姿を間近で見て憧れていました」。小学6年の時にはベトナムのバッグ工場での商談に同行。社会科見学というにはスケールが大きすぎるだろうか。広大な生産ライン。現地スタッフの真剣な眼差し。工場長と軽快に進められる取引。「将来、父のような仕事をしたい!」。憧れは、自分の夢へと変わった。

社内でPCに向かう小田さん

夢へのステップとして、小田はまず留学を目標にした。語学の勉強に励み、大学も外国語学部を専攻。そして難関の学内選抜をクリアし、アメリカのシアトル郊外の大学に交換留学生として派遣されることができた。見るもの聞くものすべてが新鮮。語学だけでなく、文化、宗教などの知識も貪欲に吸収した。夏休みにはアメリカ中を旅したが、とてつもなく広かった。いろいろな人がいて、いろいろな文化があった。行く先々で異なる表情を見せる街に、好奇心は抑えきれなかった。

ところが驚いた。留学先の友人も、旅で知り合った人々も、「日本っていいね」と口をそろえて言った。街はきれいだし、食事も美味しい、伝統もあればアニメのような新しい文化もある。特に日本製のクルマや家電は絶賛された。誇らしかったが、不思議な感覚だった。小田は海外に目を向けているのに、世界は日本を見ている。「日本のメーカーにこそ、グローバルに活躍できる可能性がありそうだ」。就職活動の指針が定まった。

留学を終えた小田は、さまざまなメーカーの説明会に出向いた。一企業のなかにも実にたくさんの職種があったが、はじめて耳にする「調達」の役割に興味を惹かれた。世界中のパートナーと交渉し、良質な資材や部品を適切な価格で仕入れる。「縁の下の力持ち」的な存在だが、戦略的な視野も求められ、メーカーにとって高収益化のカギも握る。「やりがいがありそうだ」。なかでも大阪出身の小田にとって、パナソニックはなじみ深い企業。将来のキャリアパスを、柔軟に描ける制度があるのも魅力だった。

社内で2名の同僚と打ち合わせをする小田さん

入社が決まり、小田は「調達」部門に配属された。車載事業をグローバルに展開する現パナソニック オートモーティブシステムズ株式会社の調達センターだ。海外出向をめざしていた小田は、横浜の拠点で4年半調達企画の基本を身に付けた後、松本の工場で購買と調達に携わった。海外へ出る前に違う環境で経験を積めば視野が広がり、対応力が増す。そして1年半、工場での業務に携わり、ついに念願の海外へ。しかし出向早々、トラブルを起こしてしまったのだった。

出向先はチェコの工場。調達部門には日本人は小田以外おらず、日本関連の課題がすべて回ってきた。多忙な日々が続いたなか、想定以上のロス費用を計上してしまった。規模も大きくなく、自己判断で大丈夫と過信していた。「問題をひとりで抱えず、いつでも相談するように」。上司のアドバイスに緊張感を新たにした。調達は原価の8割を担う部材を買うので、数億円単位でロスが出ることもある。幸い大事に至らなかったが、ロス回避のため正確な情報を入手し、常に相談する大切さを痛感させられた。以降、気を配ったのがコミュニケーションを取り続けること。ランチ中の雑談でもいい、愚痴でもいい、相談して話すなかに課題解決のヒントがたくさんちらばっていた。「視座を高く持たなきゃ」「それ隣の部署でやっていたよ」「私、得意だからまかせて」。人間関係が広がりはじめ、成果もついてきて自信へつながった。3年半の出向の終わりには、「まゆ、成長したね」とみんなに言ってもらえた。この上なく嬉しい誉め言葉だ。

笑顔で話す小田さん

帰国した小田は横浜に戻り、現在カーナビやカーオーディオなどインフォテインメント商材の新規受注をめざすプロジェクトチームの一員として、関係者を巻き込みながら調達活動を推進している。材料や部品の置き換え提案、工場購買支援、海外との連携も日常だ。いま自動車業界は「100年に1度の大変革期」と言われ、技術革新が加速。だが世の中を見れば、資材は高騰、部品は不足状態。ビジネスチャンスの拡大は、調達の手腕にかかっていると言っても過言ではない。「情報を常にアップデートし、周りとコミュニケーションを図ればきっと苦境をチャンスに変えられるはず」。力強く先を見据える小田には、野望がある。海外拠点の調達リーダーになることだ。「特別でなくても、素直に丁寧に仕事をしていけば振り返った時に、大きな成果につながっていくと信じている」。そして「私が父を手本にしたように、後輩たちが私をロールモデルにしてくれたら嬉しいです」。小田の言葉には、夢を形にしてきた逞しさがあった。

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