パナソニックの人 李 強麗

仕事場と李 強麗さん

世界初の「無人実装ライン」をつくり、
パナソニックを業界No.1にしたい。

設計開発 李 強麗

李強麗は、中国の黒龍省ハルビンに生まれた。祖父が日本語の教師をしていたため、幼少の頃から知らず知らずに日本語に触れていた。日本のテレビアニメも好きで、よく観ていた。そして、成長とともに、彼女のなかに日本への興味が芽生えていった。彼女が高校生になる頃、姉が日本に留学する。それまで、遠い存在だった日本が、突然、現実感をもって目の前に現れた。「私も日本で学んでみたい」と、彼女は思った。
2010年、東京電気通信大学情報理工学部に入学。日本での大学生活が始まった。大学に通いながら、生活費を稼ぐためにアルバイトもした。アルバイトは日本語の勉強のために、あえて人とたくさん会話ができる飲食店のホールスタッフなどを選んだ。「日本に来たばかりの頃は、寂しくて泣きながら中国の両親に電話をかけたこともありました。また日本語が未熟で、授業に付いていくのが難しかった時期もありましたが、必死で頑張った結果、成績優秀者として4年間学費全額免除の特典も受けられました。大学時代に得たものは、『やればできる』という自信です」と彼女は振り返る。

作業をする李 強麗さん

就職活動は、グローバル展開しているメーカーを中心に探した。そして、パナソニックの会社説明会で「実装機」と出会った瞬間、心がときめいた。「実装機」とは、プリント基板にコンデンサや抵抗などの電子部品を配置する装置だ。「高速かつ正確に動くビーム、正確に電子部品を吸着し装着するヘッド...各ユニットの無駄のない連携動作がとても美しく感じました。この技術に触れ、この設備の開発に関わってみたいという思いに駆られました」。彼女は、パナソニックへの入社動機をこう語った。

配属されたのは、電子部品の供給部を設計する部署。「実装機」のなかでいちばん大変と聞いていた部署だが、彼女はあえてここを希望した。そして3年目にして、プロジェクトリーダーとして新製品の開発を任された。最初は仕事の進め方が分からずに戸惑ったが、先輩のアドバイスを受けながら推し進めた。開発の壁となったのは、目標原価だった。競合他社に勝つために設定された厳しい目標原価、クリアすることは至上命題だった。しかし、最初の設計では目標原価を30%もオーバー。図面を徹底的に見直して、削れるものは全て削った。それでも、目標には届かなかった。そこで彼女は、開発部門だけでなく、調達、製造など関係各部門に声をかけ、部門間で連携することでコストダウンの糸口を見つけついに目標原価を達成。無事、商品化にこぎつけることができた。

対話する李 強麗さん

現在、取り組んでいるのは、工場の実装ラインを無人化するための供給部ユニットの要素技術開発だ。実装ラインの現場では、供給ユニットに部品をセットする作業が繁雑で、オペレータのスキルが求められる。そのため人件費がかかる。彼女は、無人化を見据え、スキルレスで部品を供給ユニットにセットする要素技術の確立に向けて、設計、試作、検証を繰り返している。そんな彼女に、「実装機」づくりの仕事の魅力を尋ねてみた。

「自分の設計思想が図面になり、形になることがこの仕事の醍醐味です。特に喜びを感じるのは、自分が設計したものが社内で商品化承認を得た時と、お客さまの工場訪問時に自分が設計した商品が元気に稼働しているのを見た時です。やはり、自分の子どものように嬉しい気持ちになります。また、身の回りのほとんどの電気製品には、プリント基板が使われています。そして、そのプリント基板は私たちの『実装機』から生まれます。『実装機』づくりを通して、現代の豊かなくらしの創造に貢献できることは大きな魅力ですね」と彼女は微笑んだ。

笑顔で語る李 強麗さん

「実装機」に一目惚れして、パナソニックに入社して6年。「実装機」の開発に全力投球してきた彼女は、今、どんなビジョンを描いているのだろうか。「今取り組んでいる、世界初となる『無人実装ライン』を1日も早く世に出し、パナソニックを業界のリーディングカンパニーに押し上げることが私の目標です。それが実現できたら、次の目標は海外です。欧州などの拠点で、実装から離れた仕事もしてみたいですね。そして、より広い視野と経験を身に付け、グローバルに活躍できるエンジニアになりたいと思っています」。そう語る彼女の顔は、「やればできる」という自信にあふれていた。

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