パナソニックの#はたらくってなんだろう
内定者が語る「だから、パナソニックに決めました」。~環境エネルギー工学系専攻 陳何苗さん、電気・電子・通信系専攻 劉宗威さんの場合~

人生100年時代。キャリアや働き方は多様化し、さまざまな選択肢が広がる今、実際に何を思い、考え、「パナソニックグループで働くこと」を選んだのか。中国出身で2020年度パナソニックグループ入社予定の技術系内定者たちが、インターンシップを中心に就職活動のエピソードを語りました。
プロフィール
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陳 何苗(ちん かなえ)
工学研究科
就職活動を始めた時期 修士1年生の7月頃中国重慶市出身。留学で大阪大学大学院へ。研究テーマは、商業施設・業務施設でのデマンドレスポンスによる電力需要調整力について。省エネに興味を持ったきっかけは、小さい頃に家で体験した停電。それから、電気の大切を考えるようになったという。日本のドラマが好きだったこと、未知の世界に飛び込みたいという気持ちから日本に留学を決めた。
<就職活動データ>
志望業界:電機メーカー、インフラ、建設
インターンシップ参加:4社(電機メーカー、建設、インフラ、インテリア)
先輩訪問:5人
エントリーシート提出:5社 -
劉 宗威(りゅう そうい)
電気電子系
就職活動を始めた時期 修士1年生の12月頃中国河北省出身。清華大学在学中に、交換留学で訪れた日本を気に入り、大学院は東京工業大学大学院に進学した。圧縮機向けの高速回転・高出力のベアリングレスモータの開発が研究テーマ。入社後は、モータのデザインに不可欠な電気回路や制御工学やプログラミングなどのスキルを照明の設計開発に活かしたいと語る。
<就職活動データ>
志望業界:電機メーカー
インターンシップ参加:2社(電機メーカー)
先輩訪問:1人
エントリーシート提出:5社
なぜ、中国出身のみなさんが日系メーカーへの就職を決めたのか教えてください。
陳:私は、「圧倒的な責任感」を持ってモノづくりに挑んでいる姿勢、「モノづくり」に対する熱い想いに強く惹かれたからです。
日系メーカーは知的財産や新しい技術革新にも積極的に取り組んでいるだけでなく、素材選出や検査にしっかり時間とコストをかけて、自分たちが世界に提供しているものに対して強い責任感を持っている会社が多いと感じていて。
そういう想いの強い企業のなかで、自分の技術力や創造力を活かして人の役に立つ新しいものをつくり出すことができれば、技術者として誇りを持ちながら成長していくことができると思いました。
また、特に大手メーカーはお客さま、社員、拠点がグローバルにわたるので、社内にも多様な文化や価値観が融合した働きやすい環境があるのではないかって思ったんです。多様性のある環境の方が、私も自分らしく働くことができるんじゃないって。
劉:大学院でベアリングレスモータの開発をしてきました。だから、この技術を活かした仕事をしたいと思い、メーカーに就職したいと考えていました。
そして、私には世界を舞台に活躍できる技術者になりたいという夢があります。そのためには、「それぞれの国の文化や人に寄り添った考え方が学べること」「技術力と研究開発力で世界をリードしていること」が必要だと考えていました。そういったことが学べる場所として、日系メーカーは最適な場所だと思いました。
現在留学している日本の大学院では、日本人だけでなくさまざまな国の学生と交流してきました。そのなかで、中国では当たり前のことが、他の国では当たり前じゃないこともあるということに気が付き、自分自身の考え方が大きく変わりました。
その経験がきっかけで、将来世界で活躍して多くの人に貢献するために、日本での仕事を通じて「それぞれの国の文化や人に寄り添った考え方」を身に付けたいと思いました。特にパナソニックグループには、創業者の松下幸之助が海外進出を始めた時、「"その国で生きている人たちのために"という気持ちでやるんだ」と言い切ったということも聞き、ますますここで働きたいと思いました。
また、「技術力と研究開発力で世界をリードしている」=「日系メーカー」と思ったのは、日系メーカーには「モノづくり」の歴史が長く、技術の蓄積があると感じていたからです。そして、実際に中国にいた頃から日本製品のクオリティの高さに驚いてきたからです。
最終的にパナソニックグループを選んだ理由を教えてください。
陳:目の前の人に向き合う真摯さに惹かれたからです。
インターンシップに参加させていただいた時、社員のみなさんにとても親切にしていただいて。たとえば、最終成果発表の資料づくりの時に日本語の資料作成に時間がかかっていたところ、「大丈夫?困ったらいつでも相談してね」とやさしく声を掛けてくださったり、「ここは、こっちの方が分かりやすいよ」とか丁寧に教えてくださったりしたんです。
その時に、こんな温かく、真摯に向き合ってくださる人たちと一緒に働きたいなって思いました。パナソニックグループの職場には人づくりの風土が根付いているんだなと感じました。
また、研修や社内でのシンポジウムの豊富さにも表れているように、一人ひとりの成長にも真摯に向き合ってくれる会社だと思いました。ここであれば安心しながら成長していけると確信し、パナソニックグループを選びました。
劉:私も陳さんと同じで、パナソニックグループのインターンシップでの経験を通じて、そのまま就職先に決めました。大学で学んだ知識を製品の開発に活用するという経験ができたことが、とてもたのしかったので。
それに社員のみなさんが、私をインターン生だからとか留学生だからとか関係なく、一人の大人として接してくだったのが本当にうれしくて。最終発表の資料作成に対して、何度も時間をかけてサポートしてくださり、ここでなら本気でやりたいことを突き詰められる環境があると確信しました。
一方で、中国から離れた日本で働くことに対して家族は少なからず心配していました。しかし、パナソニックグループは福利厚生がとても充実しているだけでなく、eチャレンジ、社内複業やカムバックキャリアなど柔軟な働き方ができることを知って。仕事もプライベートも充実させた社会人生活ができそうだとしっかりと伝えて、中国にいる家族に安心してもらえたことも決め手のひとつでした。
仕事を通じて実現したい志を教えてください。
陳:私は、地球の持続性とくらしの豊かさを両立させることに貢献したいと思っています。
小さい頃、夏の暑い日にエアコンを消さなきゃいけないことがあって。省エネのためとは言え、どんどん室内が暑くなって辛かった経験をしたことがあります。このようなことをしなくていいよう、快適さを守りつつ省エネを実現できる照明設計で新しい空間創造サービスを世界で実現していきたいです。
技術営業として、お客さまにパナソニックの照明商品の魅力を伝えて買っていただくだけなく、快適さ+αのお客さまニーズに応えた照明設計に貢献したいです。たとえば、商業施設で服や肌をきれいに見せたり、カフェで癒しの空間を演出したりすることで、誰かを感動させたり、建物の価値を上げたりできればと思います。
でも現在、オフィスや店舗などでのエネルギー消費のうち、照明用のエネルギーがかなりの部分を占めているんです。それを解決する技術として、空間全体を照らすのではなく必要な部分だけ照らす照明制御技術である、タスクアンビエントというのがあります。この技術に欠かせないものも照明設計なので、快適な空間演出と省エネを両立させた照明設計に貢献していきたいです。
そのためにも、技術者や研究者などさまざまな分野の社員の方と交流して、新しいことを吸収することで自分を成長させ、社会に貢献できるような人間になりたいですね。
劉:私は、当たり前の存在になっている照明で世界中の人の心を彩り、「パナソニックと言えば照明だよね」と言われるように照明事業に貢献したいと思っています。
たとえば、青空や夕焼け、星空を映すことができるLEDパネルをお客さまに提供できれば、雨の日でも美しい空を部屋のなかでたのしめます。悩み事があっても天井に映し出される空を見て元気になったり。照明で空間を明るくするだけじゃなく、人の心も明るくしたいんです。ただくらしやすくするだけでなく、何か新しい付加価値を提案できるような照明を開発したいと思っています。
さらに、「パナソニックと言えば、照明技術がすごい」というお客さまをひとりでも多く増やしたいと思っています。パナソニックは家電メーカーとして世界中に知られていますが、他にも家づくりをはじめ車載や物流や電池などの事業にも積極的に取り組んでいて、照明の分野でも高いシェアを占めています。注目されているイベントや施設の空間演出などを通じて、パナソニックの照明の知名度をもっと上げていきたいと思っています。
私が開発した照明で、ひとりでも多くの人が無意識かもしれないけど元気になったり、癒されたりする日が来たら、最高ですね。
最後に、日系メーカーをめざす中国の後輩たちにアドバイスを。
陳:とにかくいろいろ体験してみようって伝えたいですね。
世界はとても広いですから。見たら絶対に自分の世界が、世界観が変わります。そこで視野が広がって、人生観も変わるかもしれない。私も自分が留学して、日本で働くことになるなんて思っていませんでしたから。
劉:まず行動すること。何事も勇気を出して行動することがいちばん大事だと思います。
私は、大学3年生の時に北海道の大学に交換留学に行ったのですが、留学は優秀な人だけが行くもので自分には無理だと思っていました。でもどうしても日本に行きたくて、はじめて挑戦してみて。それで挑戦すれば、自分でもできると分かったんです。みんなもきっとできますから、自信を持ってチャレンジして欲しいです。
*記事の内容は取材当時のものです。